夜11時の小さな時間 ― 母と向き合う会話
最近、毎晩11時になると決まってベッドセンサーが鳴ります。母の部屋へ行くと、ベッドの端に腰を下ろし、にっこり笑って「目が覚めちゃったの」と言う母。お茶もいらない、テレビも疲れるから見ない、と首を振るので、私は布団を敷いて隣に横になり、ゆっくりおしゃべりをする時間が増えました。
私の幼い頃の思い出、家族旅行の話、愛犬の話、季節の服や料理の話――他愛のない会話ですが、母はとても楽しそうに話してくれます。30分ほど経つと「お母さん寝るわ」と静かに横になり、再び眠りにつく。そんな夜が、一週間ほど続いています。なぜか毎晩同じ時間。不思議なリズムです。
私も最近は、11時に備えてパジャマに着替えて待つようになりました。話していると、母が昔のことを驚くほど細かく覚えていることに驚かされます。「記憶って、こんなにも残るものなんだ」と感心する一方で、ふと気になり「認知症と記憶」について調べてみました。
認知症と「記憶」 ― 失われる記憶と、残る記憶
認知症には「記憶障害」が中核症状として表れると言われていますが、調べていくうちに、記憶にもいろいろな種類があることを知りました。
即時記憶 ― ほんの数十秒の記憶が抜け落ちる
数十秒から1分程度の短い記憶。
物を置いた場所が分からなくなる、同じことを何度も聞いてしまう。
これは即時記憶の低下によるものだそうです。
近時記憶 ― 少し前の出来事から忘れていく
朝食べたものを覚えていない
最近あった出来事が思い出せない
数分〜数日の記憶が残りづらくなり、「あれ、何だっけ?」と頭の中で記憶同士が干渉する状態が起こると知りました。
遠隔記憶 ― 自分の人生の記憶が薄れていく
生きてきた歴史
家族との思い出
自分が誰であるか
ここが弱くなると、自分という存在が揺らぐ。
胸が締めつけられる説明でした。
エピソード記憶 ― 体験そのものを忘れてしまう
「さっきご飯を食べたのに、食べていないと言う」
体験ごと記憶から抜け落ちる。
母にも、私にも、切ない瞬間です。
意味記憶 ― 言葉やモノの名前が出てこない
「あれ」「それ」と呼んでしまう。
私自身にも覚えがあります。
でも認知症では思い出し直すことが難しいと知りました。
手続き記憶 ― からだが覚えている記憶は残る
編み物
ピアノ
歩き方や動作
大脳ではなく小脳の記憶だから、認知症になっても残りやすいのだそうです。
「母が今も同じ手つきで編み物ができる理由」
やっと納得できました。
気づかされたこと ― 記憶が失われても「心」は消えない
母は昔の思い出を楽しそうに語り、私はその横で静かに耳を傾けます。
記憶は少しずつ変わっていくけれど――
温度
笑顔
声の柔らかさ
それは、ちゃんと残っている。
認知症は「奪う病気」ではなく「少しずつ形を変えていく記憶の旅」
今は、そう受け止められるようになりました。
今日も母は、薄く口紅をつけてデイサービスへ
季節は少しずつ春へ向かっています。
母は口紅をひき、背筋を伸ばしてデイサービスへ出発。
私は久しぶりに友人と会う予定。
介護は日常の延長線上にあってときどき苦しく、でも温かい。
母と過ごす今の時間が、私にとって大切な宝物です。
よくある質問(FAQ)
Q1. 認知症でも、昔のことだけははっきり覚えているのはなぜですか?
A. 昔の思い出は「遠い過去の記憶(遠隔記憶)」として強く残りやすく、反対に、最近の出来事から忘れやすくなるそうです。
母も同じように、子育てや家族旅行の話は鮮明に語れる一方で、直前の出来事は思い出せないことがあります。
それは異常ではなく、認知症の特性の一つだと教えていただき、私自身も気持ちが少し楽になりました。
Q2. 同じ質問や会話を何度も繰り返されると、どう接すれば良いでしょうか?
A. 介護をしていると、同じ会話が何度も繰り返されることがあります。
以前の私は戸惑いや疲れを感じていましたが、「今、その瞬間に安心していること」が何より大切だと感じるようになりました。
正すより、寄り添う。
そう意識することで、会話そのものがやさしい時間に変わりました。
Q3. 認知症が進むことに不安を感じたとき、どう気持ちを整えていますか?
A. 不安や切なさを感じる日は、私にもあります。
そんなときは、「今できていること」「一緒に過ごせている時間」に目を向けるようにしています。
完璧ではなくても、笑顔で話せる時間、手を握る温もり――
それが、今の私たちにとっての「大切な記憶」だと感じています。
Q4. 介護者として気持ちが疲れてしまったとき、どうすればいいですか?
A. 介護は長く続く時間だからこそ、介護者も休んでいいと、今は思うようになりました。
少し横になる/静かに深呼吸する/誰かに気持ちを聞いてもらう。
それだけでも心が軽くなります。
自分を責めず、「今日もよくやったね」と声をかけてあげてください。

