母が退院してから、気づけばもう一年が過ぎました。
思えばあの頃(昨年の9月終末介護で自宅に戻ってきた頃)は小さな事、ひとつひとつに一喜一憂していた私ですが、今は母のゆるやかな時間の流れに合わせて、日常を大切に過ごしています。
母が穏やかな顔で一日を過ごしている姿を見ていると、嫌な記憶を忘れることも、また人の優しさなのかもしれないと感じます。
母は病気や老いの現実を受け入れながらも、今日もにこやかに生きています。
膀胱留置カテーテルをつけているため、週に一度の交換が必要です。 最初のころは少し怖かった医療的ケアも、今では看護師さんの支えもあり、私たち家族の日常の一部になりました。
日々の生活の中で、今年の夏に小さな出来事が起きました。
朝起きて、いつものように尿バッグを見た瞬間に息を呑みました。
透明だったはずのバッグが、まるで絵の具を混ぜたように紫色に染まっていたのです。
急遽看護師さんに連絡し、診てもらうと、それは「紫色尿バッグ症候群」と呼ばれる現象だと言われました。
尿に含まれるインジカンという物質が、腸内細菌や尿路感染症の菌によって分解され、青色のインジゴブルーと赤色のインジルビンになるそうで、その色素が尿バッグのプラスチックに沈着して、紫に見えること。
尿が変色しているわけではないと聞き、胸をなでおろしました。
初めは血尿かと思いました。母は週に二回、便秘対策のための摘便も続けています。
食事の量は少し減りましたが、自分の手でスプーンを持ち、しっかりと味わう姿を見ると、「食べることは生きること」だと感じます。酸素チューブも取れ、母の命の糸が、時には驚くほど細く感じる日もあり、呼吸のたびに聞こえる優しい息づかいに、ささやかな希望を見つけています。
何かをしてあげるたびに、母は「ありがとう」と言います。その言葉はもう何千回も聞いたけど、そのたびに胸の奥がキュッとなります。
母はほとんど一日をベッドの上で過ごしています。
今の楽しみは、テレビドラマと食事、そして会話。
ブログやSNSに費やす時間を母との会話に使うようになってから、不思議と、母の言葉が少しずつ増えてきたのです。 昔の思い出話、私の知らなかった祖父母のこと。
話をしているうちに、若い頃の思い出や子育ての大変な時代の話など、私が知らなかった母の半生がポロポロ出てくるのです。会話の中に出てくる懐かしい地名や人の名前。
自分の人生を振り返る機会も貰っています。
話を聞く時間が増えて、母の表情も明るくなりました。
会話が増えるほどに、母の表情が豊かになり、笑う回数も増えました。
介護をしながら感じるのは、「言葉」には力があるということ。大げさではなく、本当にそう思います。
今年は9月に長男、10月に次男に赤ちゃんが産まれました。
母にとってはひ孫です。大喜びです。
かわいいわね。息子(母からしたら孫)の小さい時にそっくりと言って幸せそう。
この穏やかな時間がいつまで続くのか、明日はどうなるのか。
今の調子なら、きっと今年のお正月も一緒に迎えられそうです。
明日も笑顔が多い穏やかな1日になるように心から願います。

