89歳、まだ元気だった頃の母
この写真は、母が89歳だった敬老の日のものです。
ちょうど一年前の9月、穏やかな季節でした。
母はとてもお洒落で、明るく陽気な性格です。
足腰は年々弱くなり、85歳頃から外出時は車椅子を使うようになりましたが、それでも「自分のことは自分でやりたい」という気持ちの強い人でした。杖をつきながら、ゆっくりでも前を向いて歩いていました。
私が仕事を続けられたのは、母の存在があったから
私には息子が3人います。
仕事をしながら家事や子育てを続ける毎日は、正直、楽ではありませんでした。
ご飯の支度やお弁当作り、家のこと。
母には本当にたくさん助けてもらいました。
当時は当たり前のように過ごしていましたが、今振り返ると、あの時間がどれほど支えになっていたのかを実感します。
要介護1だった母に、突然起きた転機
2021年、この頃の母は要介護1でした。
友人から「介護は一気に進むことがあるよ」と聞いてはいましたが、どこか他人事のように感じていたのが正直なところです。その年の1月、自宅で転倒し、左大腿骨を骨折。
手術を受け、病院とリハビリ病院で合わせて4ヶ月の入院生活となりました。
コロナ禍の入院が母に残したもの
コロナ禍のため、面会は一切できませんでした。
母は、それまで家族と長期間会えない生活をしたことがありません。
会話もなく、家族の顔も見えない日々。
退院してきた母は、どこか反応が鈍く、以前とは違う様子でした。
表情が乏しく、目に力がなく、「ちょっと虚ろ」という言葉がぴったりでした。
少し落ち着いたと思った矢先、再び転倒
毎日意識して話しかけ、会話の時間を増やしていくうちに、少しずつ表情が戻ってきたように感じていました。
しかし6月、再び自宅で転倒。
今度は右足の大腿骨骨折でした。
再度の手術と入院。
今回はリハビリ病院には行かず、自宅で訪問リハビリを受けることを選びました。
それでも「家に帰りたい」という気持ち
両足の大腿骨を手術し、「もう歩けないかもしれない」と覚悟したこともあります。
それでも母は、「早く家に帰りたい」という一心でリハビリを頑張りました。
車輪のついていない歩行器を使い、ゆっくりですが、家の中での移動が少しずつできるようになりました。

言葉に詰まる母を見て感じたこと
先日、テレビを見ながら話していたときのことです。
母が突然言葉に詰まり、何を言いたいのか分からなくなってしまいました。
「なんか変なの。わからなくなっちゃって……」
言いたいことがあるのに、言葉にならない。
その不安と戸惑いは、見ているこちらにも伝わってきました。
介護度4になった今、家族でできること
今回の出来事をきっかけに、母は要介護4になりました。
コロナ禍の入院で、会話のない時間と孤独な日々が、母を変えてしまったのではないか——それが今の率直な気持ちです。
だからこそ、私たち家族は会話を増やすことを大切にしています。
正解は分かりませんが、母の「なんか変なの」をこれ以上加速させないために、できることを一つずつ試していきたいと思っています。






