母の介護が始まった年を振り返って
——コロナ禍の入院が残したもの
2022年、母は怪我をして入院しました。
それがコロナ禍の最中だったこともあり、面会はほとんどできませんでした。
普段であれば、顔を見に行き、声をかけ、安心させてあげられたはずなのに、それが叶わなかった。
母が入院中、どれほど寂しい思いをしていたのかを想像すると、今でも胸が痛みます。
入院前と退院後では、母の様子は明らかに違っていました。
それまで言葉に詰まることはほとんどなかったのに、退院後はぼんやりする時間が増え、言葉がすっと出てこなくなる場面も目立つようになりました。
骨折によって自由に動けなかったこと、病院という慣れない環境で過ごしたこと。
その一つひとつが、母にとっては大きな負担だったのだと思います。
「いつまでも元気でいる」と思い込んでいた私
この年まで親が元気でいてくれたこと自体、とても幸運なことです。
人は年を重ねていくのが当たり前なのに、どこかで私は、母は「いつまでも元気で、いつもの場所に、いつものようにずっといる存在」だと安心しきっていました。
在宅介護を始めて、少しずつ子どものようになっていく母の姿に戸惑い、それまで無意識に母を頼りにしていた自分に気づかされたのも、2022年でした。
介護は、親が変わっていく過程を受け止める時間でもあり、同時に、自分自身の立ち位置が変わっていく時間でもあるのだと、後になって感じています。
母と、18歳の愛犬クロちゃん
我が家の家族は大の犬好きです。
我が家には、ブラックのプードル「クロちゃん」がいます。18歳になり、もうすっかりおばあちゃん犬です。
まだ食欲はあり、知らない人が来ると元気に吠えます。
けれど視力は衰え、眠ると耳も遠くなったのか、少しの物音では起きなくなりました。
今年、17年一緒に過ごしたワイヤーフォックスが亡くなり、今はクロちゃん一匹。
仲は決して良い方ではありませんでしたが、ケンカ相手がいなくなったせいか、どこか寂しそうにも見えます。
愛犬の老いと、介護の始まりを感じた出来事
少し前、クロちゃんが体調を崩し、おしっこを漏らしながら歩くことがありました。
おむつをつけて、ひょこひょこと歩く姿を見て、「ああ、愛犬の介護も遠くないのかもしれない」と感じました。
今はすっかり回復し、おむつも取れていますが、
母がとても可愛がっているだけに、長生きしてほしい。
20歳を目指して、できるだけ穏やかに過ごしてほしいと願っています。
母の介護と、愛犬の老い。
二つが同時に重なっていく日常は、決して楽ではありませんが、不思議と心を落ち着かせてくれる時間でもあります。
視座を上げたり、下げたりしながら
最近つくづく思うのは、「視座を高めたい」ということです。
視座は、経験でしか高められないものだと実感しています。
どの立場で考えるのか、どの範囲で物事を見るのか。
仕事であれば、ある程度整理できますが、親の介護となるとそうはいきません。
子どものようになっていく母の意見を、すべてそのまま尊重するには無理がある。
けれど、母の不満が大きくならないよう、その都度気持ちを汲み取り、対処していく必要があります。
だからこそ、母の目線に下りたり、少し距離を取って全体を見たり、
視座を上げ下げしながら、柔軟に対応する力が求められているのだと感じています。
今日より、少しだけ寛容な自分でいるために
視座は、一朝一夕で高められるものではありません。
親の介護に向き合う中で、そのことを何度も実感しています。
だからこそ、今日より明日、半年後、そして一年後に、少しでも寛容で、配慮のできる自分でありたいと思うようになりました。
そのためには、母との時間を「やらなければならないこと」として過ごすのではなく、自分自身のための大切な時間として受け止めることが必要なのだと感じています。
うまくできない日があっても、それも含めて経験として積み重ねながら、焦らずに、少しずつ。
母と向き合う時間を通して、自分自身の在り方も、静かに育てていけたらと思っています。
ソファーの隅の小さな幸せ
クロちゃんがいつも丸くなって眠るソファーの隅に、小さな電気マットを敷きました。
食後は決まってその場所で、気持ちよさそうに爆睡しています。
その姿を眺めながら、コーヒーを飲み、ブログを書く時間。
そんな何気ないひとときが、今では楽しみになりました。
母と、愛犬と、静かに過ぎていく時間。
2023年の始まりは、そんな日常を大切に味わいながら迎えています。

