朝は元気だったのに——“違和感”が突然やってきた
朝、母はとても機嫌がよく、いつもと変わらず明るい表情で目を覚ましました。声をかけると返事もハッキリしていて、今日は穏やかな一日になりそうだと胸をなでおろしていたのです。
しかし朝ごはんが始まると、その予想はあっけなく崩れました。カップを持つ手が小刻みに震え、傾けることも難しい様子。結局、私が手を添えて飲ませる形になりました。食べ物も口の中でもぐもぐしているだけで、飲み込む動きが極端に鈍い。母の手を握ると震えが少しおさまる気がして、しばらくそっと手を包むように握り続けました。朝の元気さとの落差に、胸がざわつき始めました。
視線が合わない、返事がない——反応が薄い母に強い不安を覚える
食事後、いつものようにテレビをつけて母の横に座りましたが、母の視線は画面には向いておらず、どこか遠い場所をぼんやりと見つめていました。声をかけても返事が返ってこないことが増え、ゆっくり目を見て話しても「うん」と小さく頷く程度。普段の母ならテレビの内容に反応したり、自分の不調を伝えてくれるのに、それもありません。
さらに突然、母はボールペンを握りしめ、ティッシュを何枚も取り出し何かを書こうとしました。紙を渡しても、なぜかまたティッシュで書き続けようとする——その行動が、母自身が自分の状態に戸惑っているようにも見え、私の中に強い不安が押し寄せました。「いつもと違う」が積み重なっていく瞬間でした。
立ち上がれない——歩行の変化がいちばん怖い
「疲れたんじゃない?少し横になろうか」と声をかけると、「そうね」と返事があり、まだ意思疎通はできていることに安心しました。しかし、いざ椅子から立ち上がらせようとすると、足にまったく力が入らず、身体が少しも持ち上がりません。全く立てない状態で、手を貸してもふらつくだけ。何度か休みながらトライするうちに、時間はどんどん過ぎていきました。ようやく30分ほどかけて車椅子に座らせることができたものの、次はベッドへ移る段階で再び立てない。息子に手伝ってもらい、三人がかりでようやくベッドに寝かせた時、心臓がドキドキしていたのを覚えています。横になると母はそのまま眠りに落ちましたが、短時間でここまで状態が変わることに、介護の不確かさと現実の厳しさを痛感しました。
便の変化に少量の血——見逃せないサイン
その日のトイレ介助のとき、おしりを拭いたティッシュに少量の鮮やかな赤い血がついていました。粘膜質のような状態で、見た瞬間に「いつもと違う」と直感しました。ここ数日、母は便秘気味だったため、その影響の可能性も考えましたが、高齢者にとって便の変化は大切なサイン。小さな変化でも見逃すわけにはいきません。
夕食は食物繊維を多めにとれるよう野菜スープにし、母の負担にならないよう調整しました。明朝、また同じ症状が続くようならすぐ病院へ行こうと心に決めています。高齢者の体調は赤ちゃんと同じで、一日で良くも悪くも大きく変わる。そのことを改めて実感し、気持ちはグラグラ揺れ動いていました。
手を握り、香りで安心を——介護者としての小さなケア
今日一日、ずっと母の手を握っていたので気づいたのですが、いつも以上にしわが深く、乾燥してカサカサしていました。いただきもののシャネルのハンドクリームを思い出し、少しでも気持ちが安らげばと両手にたっぷり塗り込んでみました。「いい匂いでしょう?」と聞くと、母は小さく「いいね」と言いながら自分の手をじっと見つめていました。視線はやや宙を漂うようで、目の焦点もしっかり合わないのですが、それでも香りに反応してくれた瞬間が、今日の中で一番安心した時間でした。介護というのは大きな支援だけが役割ではなく、こうした小さな心地よさを積み重ねることも大切なのだと、改めて感じる一時になりました。
明日の外出が心配——介護者の予定は“母の状態”が基準になる
明日は午前11時から2時間ほど外出しなければならない予定がありますが、今日の母の状態を見ていると、とても家を離れられる気がしません。高齢者の体調は朝と夜でまったく違うことも多く、明日の朝がどうなっているかは予測がつきません。予定は予定としてあるものの、母の状態を優先することは自然で、介護者として当然の判断です。
しかし心の中では、「行かなければいけない予定」と「母を置いてはいけない気持ち」がせめぎ合います。介護者の生活や予定は、常に家族の体調変化に左右され、思うように進まないことも多い。その不自由さを感じながらも、母を優先する気持ちが揺らぐことはありません。明日は朝の様子をしっかり見て判断しようと思います。

