マカロニグラタンがつないだ、何気ない昼下がり
孫はまだ冬休み。
この日はお昼を家で食べることになり、久しぶりにマカロニグラタンを作りました。
母も一緒に食卓につき、三人で賑やかに食事。
食べ終わると母は少し横になり、孫は帰宅。
その後、母と二人で三時のおやつを食べていると、ふいに母が言いました。
「ミクニのグラタン、美味しかったね」思わず聞き返してしまいました。
「オテル・ドゥ・ミクニ」ではありません。
昭和の洋食屋の“ミクニ”です(笑)。
今日のグラタンは、私がいつも作るごく普通の家庭の味。
そう伝えると、母は少し不思議そうな顔で「あら、そうなの?」と。
「ミクニ」という言葉に、記憶がほどけていく
なぜ“ミクニ”なのだろう。
そう思っているうちに、私自身の記憶も少しずつつながってきました。
私は小さい頃からマカロニグラタンが大好きで、母と買い物に出かけたとき、青い看板に英語とカタカナで「ミクニ」と書かれた洋食屋さんに、何度か連れて行ってもらった記憶があります。
母の中では、「ミクニ=美味しいグラタン」という記憶が、今もどこかに残っているのかもしれません。
食べ物の記憶は、不思議です。
名前や場所が少し曖昧になっても、
「美味しかった」という感覚だけは、しっかり残っている。
昔の話は、驚くほど鮮明に
そこから自然と、私が幼い頃の話になりました。
銀座の白木屋デパート(今の東急)の屋上で、
私が走り回って転んだ話。
五、六歳の頃、泣いて欲しがったバービー人形を買ってもらった話。
「高かったのよ、あれ。泣くから仕方なく買ったのよ」と、母。
……すみません(笑)。
ついさっきのことはぼんやりしているのに、
こうした昔の出来事は、驚くほどはっきり覚えている。
記憶というのは、時間の順番ではなく、心に残ったものから浮かび上がってくるのだと、改めて感じました。
こうした「できていたことが少しずつ変わっていく」実感については、
👉 母の筋力低下を、はっきりと感じた一週間
でも記録しています。
「今晩、何食べたい?」に、珍しい答え
お決まりの質問をしてみました。
「お母さん、今晩何食べたい?」
するとこの日は、「そうね……お赤飯が食べたいわ」と。
思わずキッチンに駆け込み、もち米はあったか、小豆はあったかと確認。
幸い、材料は揃っていました。
特別なお祝いがあるわけではありませんが(笑)、
その日の夕飯は、
・お赤飯
・粕漬け
・グラタンを作るときの残りマカロニで作ったサラダ
・年末にいただいた納豆と芋がらの納豆汁
少し不思議な組み合わせだけれど、母は満足そうに食べてくれました。

玄関に届いた、現実的な箱
食事を終え、母を部屋に連れて行こうとしたとき、玄関の外に大きな影。
……置き配でした。
届いたのは、紙パンツとパッドの大きな箱。
今、母に合う組み合わせを探すため、
いわば「おむつ研究」中。
Amazonの初売りも重なり、何種類か試してみようと注文した結果、家の中はおむつとパッドだらけになっています(笑)。
「こんなに?」と一瞬思いつつ、それも今の暮らしの一部。
母の使用感を聞きながら、また少しずつ調整していくつもりです。
まとめ|一皿の料理が、会話を連れてくる
マカロニグラタン一皿から始まって、母の記憶がほどけ、私の子どもの頃の思い出が溢れ、一日の終わりには現実的な介護の話に戻る。
在宅介護の日々は、こうした感情と現実の行き来の連続です。
でも、だからこそ、「今日はよく話してくれたな」
「美味しかったと言ってくれたな」
そんな小さな出来事が、心に深く残ります。
今日もまた、母と一緒に一日を終えられたことに、静かに感謝しています。
食事や会話だけでなく、「安全」とのバランスに悩んだ経験は、
👉 在宅介護で家の湯船に挑戦した結果
にも残しています。

